越後上布(新潟)

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越後の小千谷、塩沢、六日町は、古くから麻織物の産地でした。現在は、紬の産地としても有名ですが。糸括り(絣括り)や織りの技法は、麻織物の技法が基本になっているといわれます。

越後上布は、一〇世紀にすでに献上布としての記録が見え、江戸時代には武士の正式礼装の裃として用いられました。

越後上布には伝統的技法による重要無形文化財の指定を受けたものと、輸入のラミー糸を使って高機で織ったものがあります。

重要無形文化財の越後上布は、苧麻の産地、福島県昭和村から青苧を買い入れ、苧績を行うことからはじまります。そのあと、いくつもの行程を経て居坐機で織り、織り上がった布を雪上に広げて白く晒します。この雪晒しの伝統から白地が多く、絣柄は高級な洒落着に、白無地は茶屋辻や絵羽模様を染めて、夏の装いにします。

越後上布をWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E4%B8%8A%E5%B8%83

重要無形文化財小千谷縮・越後上布技術保存同人会Facebookページ
https://www.facebook.com/ojiyachijimi

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麻・芭蕉布

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蒸し暑い日本の夏に涼を呼ぶ素材として、麻や芭蕉布があります。麻は、江戸時代に木綿が一般的になるまで、夏冬を問わず庶民が着ていた素材です。

きものに用いられる麻は、洋素材の麻(亜麻、リネン)と違って、ほとんどが苧麻(からむし、ラミー)です。苧麻は天然繊維の中で最も強く、絹の様な光沢を持った植物性繊維。この麻を用いた平織りの布は、古来、献上布だったものが多く上布と呼ばれています。

芭蕉布は沖縄特産の糸芭蕉の繊維で織った布で涼しい着心地が特徴です。
麻や芭蕉布を用いた盛夏(7、8月)のきものの中で、伝統的な手仕事による「越後上布」と「喜如嘉の芭蕉布」は、重要無形文化財に指定されています。

芭蕉布をWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%AD%E8%95%89%E5%B8%83

芭蕉布こもれび工房
http://www.komorebikobo.com/

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薩摩絣(宮崎・鹿児島)

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薩摩絣ほど、時代とともに産地や織物の風合いが変わった木綿絣はないかもしれません。
江戸初期の薩摩絣は琉球産でした。このため、ごく最近まで薩摩絣は琉球絣とも通称されました。一八世紀半ばになると鹿児島でも織られる様になり、西郷隆盛が好んで着ていたのが、井桁絣や蜻蛉絣のこの着物です。

その後、久留米絣に押されて衰退していましたが、戦後、宮崎県都城市を中心に再び織られるようになって、その風合いも色柄もがらりと変わりました。非常に細い糸を用いた、しなやかな生地、伝統的な白地(白薩摩)や藍地(紺薩摩)だけでなく草木染めの地色の薩摩絣もあり、大島紬の様な繊細な絣柄が特徴です。

現在の薩摩絣は木綿絣の中で最高級品といわれ、晩春や早秋の単衣の季節に似合うさらりとした肌触りや色が好まれています。

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久留米絣(福岡)

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木綿絣といえば久留米絣といわれるほど有名なこの絣は、江戸時代後半に、井上伝という十二歳の少女の手で考案されました。
当時の久留米藩は木綿と藍の産地で、農家の副業として藍木綿が織られていました。井上伝は、着古した藍木綿の一部が色落ちして白い斑になっているのを見て、その布をほどいて絣糸の着想を得たと伝えられています。
この白い模様が入ったこの藍木綿はたちまち評判になり、近郊からこの技術を学ぼうと人々が集まってきて、広がりました。
明治半ばから戦後まもなくまで、機械紡績の糸、機械織り、化学染料といった近代化の波を受け、締機が考案されて多様な小柄絣が織られる様になりました。
こうして、多様な絣柄を廉価で大量に供給を続けていたなか、久留米絣は昭和三十二年に重要無形文化財に指定されました。手括りの絣糸を使い、純正天然藍で染めて投げ抒の手機で織り上げるという伝統的な技法は今も守られています。
久留米絣は、濃紺、浅葱、白がすっきりと目立つ経緯絣、簡素で丈夫という江戸以来の定評のまま、現代の洒落着になっています。

久留米絣をWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E7%B5%A3

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伊予絣(愛媛)

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伊予(現・愛媛県)の松山は、久留米、備後(現・広島県)と並ぶ日本の三大絣の生産地です。

伊予は江戸時代、木綿の栽培が盛んで、各家庭で綿織物が織られていましたが、ほとんどが藍無地か縞や格子でした。柄物は松山縞や伊予縞と称され、京大阪でも商われました。
一方、絣柄は今から二〇〇年ほど前に、鍵谷カナという女性が藁葺き屋根の葺き替えの時に見た押し竹を縛った跡に心惹かれ、工夫して織り上げたといわれています。

現在、絣糸は自動絣括り機で染め、色絣の場合は、あとで白い部分に色を刷毛で摺り込みます。生産反数としては、多彩な色絣糸を使って動力機で織った伊予絣の方が多いのですが、天然藍を使い、手機(高機や足踏み織機)で織った、藍地に白のすっきりした伊予絣も健在です。

その模様は、伝統的な絣柄や縞、格子のほか、モダンな幾何学模様もあります。

伊予絣をWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E7%B5%A3

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