久留米絣(福岡)

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木綿絣といえば久留米絣といわれるほど有名なこの絣は、江戸時代後半に、井上伝という十二歳の少女の手で考案されました。
当時の久留米藩は木綿と藍の産地で、農家の副業として藍木綿が織られていました。井上伝は、着古した藍木綿の一部が色落ちして白い斑になっているのを見て、その布をほどいて絣糸の着想を得たと伝えられています。
この白い模様が入ったこの藍木綿はたちまち評判になり、近郊からこの技術を学ぼうと人々が集まってきて、広がりました。
明治半ばから戦後まもなくまで、機械紡績の糸、機械織り、化学染料といった近代化の波を受け、締機が考案されて多様な小柄絣が織られる様になりました。
こうして、多様な絣柄を廉価で大量に供給を続けていたなか、久留米絣は昭和三十二年に重要無形文化財に指定されました。手括りの絣糸を使い、純正天然藍で染めて投げ抒の手機で織り上げるという伝統的な技法は今も守られています。
久留米絣は、濃紺、浅葱、白がすっきりと目立つ経緯絣、簡素で丈夫という江戸以来の定評のまま、現代の洒落着になっています。

久留米絣をWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E7%B5%A3

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